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『仕事辞めた…』仕事と子育て両立させようとしたら無理だった話

rinrin
こんにちは、元女医ライターのrinrin(@Drrinrin1)です。

 

私が女医というお仕事を辞めた理由は、『自己紹介ページ(就職・結婚編)』を読んでいただくと、おおよその概要が分かるかと思います。

よくある人生の苦難に、脆弱な精神が耐えられなかったのですが(この点については、私自身とても大きな葛藤があった上での結論ですので、批判はご勘弁くださいね)、

今回は、私が女医として働くことを諦めた経緯について、少し詳しく書いていきます。

 

仕事を辞めた理由①:女医として生きることに限界を感じた

私は、医師の仕事自体は好きでした。

もともとの職場は、ちょっとブラックな勤務形態でしたが、人の健康に関わる仕事に遣り甲斐を感じていたし、学ぶことも好きだったので、仕事をできることが幸せであると思っていました。

 

何があっても、辞めるつもりはなかったんです。

これは本当。

 

しかし、人生の波が、私のそんな気持ちを、じわじわと、でも確実に、流していってしまいました。

今は、自分の人生を生きることで精一杯になってしまったというのが正直な思いです。

 

医師というのは、『病気』という、患者さんの人生の大きな出来事を、一緒に背負っていく仕事です。

寄り添うことも、支えることも、自分の心身が健康でなければ難しいというのを、切実に感じました。

 

仕事を辞めた理由②:第一子が障害児だった

女医を辞めた理由の中でも、もっとも大きな理由は『子ども』のことでした。

現在の私は二児の母ですが、第一子は障害を持って生まれてきました。

実際に障害を持つ子を産んでみて初めて知ったことなのですが、この社会は、『障害を持つ子の母親』が働くことが、極めて困難な作りになっています。

 

この問題についての詳しいことは、以下の記事に書いていますので、興味のある方は合わせてお読みください。

 

 

ケアが必要な子は預け先がない

医療ケアが必要な子どもは、まず預けたくても受け入れ先がありません。

しばらくは病院通いがずっと続いていて、預けて働く暇もありませんでしたが、一歳前頃くらいに、私も働きたくて保育園を探したことがありました。

しかし、どの園からも、

『ケアが必要な子は預かれない』と、断られてしまいました。

所属していた病院には院内託児所があったのですが、そこからも断られて、

ついには所属していた医局からも、

『今はお子さんのことに専念した方がよいのではないか』

と、言われてしまったのです。

 

ケアは必要なくなったが待機児童問題が残っていた

その後、リハビリや通院の甲斐あって、第一子のケアは必要なくなりました。

その後、今度は自閉症という発達障害が発覚したのですが、医療ケアも必要なく、自分の足で立って歩いて息をしてくれています。

通院の回数も落ち着き、今度こそ働けるかもしれないと、淡い期待を抱きました。

しかし、その段階で保育園に申し込んでも、今度は『待機児童問題』という壁にぶち当たってしまったのです。

 

待機児童問題とは
待機児童問題とは、認可保育園への入園を希望しても、希望者が多すぎて入園できず、待機している児童がたくさんいて、主にその保護者が就労できない問題のことを指します。

 

私が住む地域では、待機児童数が多く、それでも0歳児の頃だったらまだ空きがあったのですが、第一子に医療ケアが必要なくなった1歳時点では、とても入園できる状況ではありませんでした。

 

待機児童に登録することさえ断られた

おまけに、第一子はその生育歴と発達障害を理由に、待機児童に登録することさえ、園から断られてしまいました。

  • 『このような子どもは、園で受け入れられる体制が整っていない』
  • 『このような子どもが待機児童に登録すると、他の順番待ちしている健康な子どもさえ入園できず、迷惑する』
  • 『このような子どもは自宅で見るべきだ』

ということを、オブラートに包んだ形で言われてしまいました。

この日私は、

『もうフルタイムで働くことは無理なのかもしれない…』

と思い、家に帰って子どもを抱きしめて泣きました。

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子どものことは大好きですが、仕事を諦めるという選択をすることに、感情が追いつかなかったのです。

 

仕事を辞めた理由③:非常勤を目指すが女医の現実は想像以上に厳しかった

その後私は、フルタイムで働く道を諦め、常勤以外で働ける道を模索しました。

どうにか、『仕事をする立場』というものにしがみついていたかったのです。

 

医師として、立場を確立できなくてもいい。

ただ働きたい。

家庭だけでなく、社会で何かをしたい。

 

その一心で道を探していました。

 

圧迫面接

子どものことが一番の気がかりでしたが、どうにか無認可で一時預かりをしてもらえる園が見つかり、面接に行くことができました。

 

しかし、時短の仕事の面接時、

『そう言えばお子さんはいるの?』

という話になり、正直に話したところ、

  • 『そんな状況のお子さんがいるのに、仕事をするなんて何を考えているのか』
  • 『若手のくせに時短に応募するなんて言語道断』
  • 『せめて専門医を取得してから子どもを持つ計画性はなかったのか』
  • 『君はお子さんの問題から逃げているだけ』

と責められ、しまいには、

『何しにここに来たの?』

と言われてしまいました。

 

仕事をしたいだけだったのですが、ハードルは予想以上に高かったです。

 

『君が働くことを求めている人は、君以外に誰かいると思いますか?』

という一言は、今でも胸に突き刺さっています。

 

医局から『無給助手』という立場を提案されるが…

医局に相談してみたところ、『無給助手』という立場を提案されました。

 

無給助手とは

無給助手とは、研究の手伝いや臨床での仕事を、時間の融通を利かせてさせてもらえる代わりに、『給料をもらえない』立場の医師のことです。他の大学ではどうか分かりませんが、私の所属していた医局では、そのような立場の、いわば『大学院見習い生』のことをそう読んでいました。無給助手は、大学からの給料が無い代わりに、アルバイトなどで生計を立てています。

 

しかし、医局から私に提示された条件は、『アルバイトを行わないこと』でした。

時間に融通を利かせて働ける私のような立場で、他の医局員と同様にアルバイトにも行けるとなると、他の医局員の士気が下がるという理由でした。

 

アルバイトを行わないと、私が得られる給料は0になります。

仕事には関わりたい、勉強ももっとしたいという気持ちはありましたが、さすがに完全に無給で働けるような家計の余裕はありません。

子どもを無認可に預けるとなると、出費だけが嵩むことになるので、この条件を飲むことはできませんでした。

 

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この辺りで、『非常勤も無理かもしれない…』と、諦めの境地へ達していきました

 

どうしても医師として働きたかったのでアルバイトを探すことに…

上記のような経緯から、私は医局で働くことも諦め、非常勤で働くことも諦めました。

しかし、『女医として働くこと』自体を諦めきれなかった私は、次は単発の仕事を探し始めました。

 

単発の仕事とは

医師で言うところの単発の仕事とは、主に企業や自治体の健康診断や、レントゲンなどの読影業務、少し専門的なところで言うと、ショッピングモールに入っている眼科のコンタクト診療などになります。

 

さすがに単発だったので、医師免許の提示とちょっとしたやり取りのみで即採用されました。

小さな企業の健診でしたが、朝から子どもを預け、家族でない他人と話し、人の体を診察できることに、喜びを感じました。

聴診器を久しぶりに持てること、白衣を久しぶりに着れることが、とても嬉しかったのを覚えています。

たった三時間足らずのお仕事でしたが、実に数年ぶりに働けて、お給料ももらえて、達成感は大きかったです。

 

『私はまだ働ける』

そう思いました。

 

ばりばり働きたい自分の気持ちとの妥協

その後も何度か、単発のアルバイトを行いました。

だいたい週に一度のペースで行っていたでしょうか。

本当はもっと行きたかったけれど、案件がなかなか無くて、その頻度になりました。

 

アルバイトは基本、取り合い

健診などのアルバイトは、リタイアした医師からの人気の高い仕事のため、基本的に取り合いとなります。求人サイトなどに登録して、行ける案件があれば即申し込まないと、すぐに別な医師に取られてしまいます。

 

子どもの療育や通院の問題もあったので、こんな感じで、小銭を時折稼ぎながら、家庭との両立を図るのもよいかもしれないと思いました。

しかし、それさえも、やはり難しいことだったのです。

 

仕事を辞めた理由④:バイト代が吹き飛ぶ病児保育の現実

単発の仕事を始めて一ヶ月ほど経った頃、翌日はアルバイトという日に、子どもが熱を出してしまいました。

夫は仕事なので、面倒を見られるのは私しかいません。

しかし、アルバイトは今更誰にも代わってもらえない…。

 

当然のように断られる病児保育

病児保育は、申し込みはしていましたが、わが子のように障害を持つ子は、当然のように断られてしまいました。

代替案を考えていなかった私が一番悪いのですが、もう少し門戸を広げてほしいなぁと、切実に思います。

 

実家の母に頼ったが

私は迷った末、実家の母に頼ることにしました。

夜の移動で、実母に多大な迷惑をかけてしまった上、実母の交通費や滞在費を負担すると、私のアルバイト代なんて、簡単に吹き飛んでしまいました。

病気の子どもにも負担をかけて、結婚した身でありながら実家にも迷惑をかけて、さらに金銭的にもマイナスしか生み出さなかった1日。

私の心は、またしても折れてしまいました。

 

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そして、女医という仕事そのものをドロップアウトするに至ったのです。

 

仕事を辞めた理由⑤:本当に大切なことを子供が気づかせてくれた

私は正直、親になることそのものを、少し甘く見ていたのかもしれません。

専門医を取得する前に子どもを産む女医などたくさんいたし、自分も当然、子育てしながらフルタイム復帰して、専門医も取得して、その後も働いていけると思っていました。

 

特に死産を経験していたのもあって、早く子どもを産むことにこだわっていたのも事実です。

『仕事はいつでも取り戻せる』

そう思っていました。

 

親になる覚悟

私は、こんなにも、子どもの状態に親の働き方や人生自体が左右されることを、覚悟の上で子どもを産んだとは言いがたいです。

しかし、誰しもが、そこまでの覚悟を持って子どもを産むものなのでしょうか。

逆に、ここまで色々とマイナス要素を考えていたら、子どもなど産めなくなってしまうのではないかなと思います。

 

それでも子どもを産んでよかった

私は結果的に仕事を犠牲にしてしまいましたが、子どもを産んだこと自体は、本当によかったと思っています。

すごく可愛く、大切で、愛しています。

障害のある子の子育てというと、大変なイメージもあるかもしれませんが、健常の子だともしかしたら気づけなかったかもしれないような、小さな小さな成長を、毎日見つけることができます。

悪意のない笑顔が、本当に可愛く、この子のためなら何でもしたいという気持ちが湧いてきます。

 

『子どもを産むことで、仕事を諦めることになる』

と、もしも母親になる前に知っていたとしたら、私は子どもを持つことを躊躇ったと思います。

でも、もし子どもを産まなかったら、この温かな気持ちを感じることもなく、自分以上に大切な誰かに出会うこともありませんでした。

それを考えると、あのとき、大した覚悟も無く子どもを産んで、本当によかったと思うのです。

 

今思えば、『医師』という仕事に、私はこだわりすぎていたように思います。

障害を持つ子を授かって、親の人生は想像していた以上に子供に左右されるものだと痛感しました。

その一方で、子どもの障害をきっかけに、『私にとって何が一番大切なのか』ということにも気づけたのです。

 

仕事を辞めた理由⑥:「もう無理だ」という判断

今でも、仕事への未練が全く無いかというと、そんなことはありません。

女医を辞めた理由を述べてきましたが、もしかしたら、同じ状況でも、仕事に噛り付いて頑張っている女医さんもいるかもしれません。

もしかしたら、やり方次第では、私も仕事を辞めずに済んでいたのかもしれません。

 

でも、子どもの状況、自分の状況、家庭の状況を総合的に見たとき、私には『もう無理だ』という判断を下すことしかできませんでした。

後悔はないと言いたいところですが、やっぱり、もう少し頑張れたんじゃないかなぁという思いは、今でもあります。

 

まとめ

『私が女医を辞めた理由』と書くと、個人的な問題ではありますが、これには、『待機児童問題』『障害児の育児に関する課題』が、色濃く絡んできます。

この社会は、母親が働くこと、特に障害児の母親が働くことが、とても難しい仕組みになっています。

でも、子どもの医療ケアや療育にお金がかかる上、将来的な面倒も見なければならない障害児の親は、本当は働きたいと思っている人も多くいます。

当事者としては、非常にもどかしく、ジレンマを感じる問題です。

 

rinrin
実態を知らない方に、少しでも何かを感じていただければ幸いです。