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『嵐はなぜ人気が出たのか』デビュー以来の嵐ファンがその理由に迫る

rinrin
こんにちは、元女医ライターのrinrin(@Drrinrin1)です。

 

今や、国民的人気グループの『嵐』

しかし、嵐にはかつて『冬の時代』とまで言われた、人気が伸び悩んでいた時期がありました。

 

来年で、結成20年のメモリアルイヤーを迎える嵐。

その記念すべき年を目前に、デビュー当時からの嵐ファン(当然家電は全てHITACHI)の私が、嵐がこれほどまでに人気が出た理由を考察してみます。

 

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めちゃくちゃ長い上にオタク臭満載なので、本当にお時間のあるときにお読みください。

 

嵐の人気が出た時期

嵐の人気が出た理由を考えるにあたり、いつからこんなに嵐は人気が出てきたのかを振り返ってみました。

私が大学に入学した2000年代初旬の頃は、『嵐ファンです』と言っただけで、失笑されるような時代でした。

当時は、関ジャニ8やKAT-TUN、NEWSなどが台頭してきて、 嵐は、一般の方は愚か、他グループのジャニオタにも関心を持たれていない時期でした。

 

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ちなみに『修二と彰』のファンは、ちまたにごろごろ溢れていました…。

 

 

それが、2000年代後半あたりから、徐々に風向きが変わり、 2009年の結成10周年の頃には、特にジャニオタではない一般の男性でさえ、車の中で嵐のベストアルバムをかけるようになっていたのです。

 

 

嵐デビュー年は、1999年

嵐の人気が、ジャニオタだけでなく一般の人にも浸透してきたと、私が肌で感じたのが、2009年

この10年の間に、嵐の人気の理由となる出来事があったことは間違いありません。

 

というわけで、この10年に的を絞って考察していきます。

まずは、嵐冬の時代と言われた、2000年~2005年頃を振り返ります。

 

嵐の人気が出る前:冬の時代を振り返る

1999年、ハワイの海上で華々しくデビューした嵐。

当時のジャニオタ、特に生粋の大野智オタであった私は、非常に驚いたのを覚えています。

 

当時のジャニオタたちがいっせいにつっこんだのは、

ジャニオタ
なんでタッキーがメンバーに入っていないの!?

という点と、

 

大野智を見て、

ジャニオタ
この地味な人だれ!?

という点でした。

 

当時、非常にアンバランスなグループに見えた嵐。

しかし、デビュー曲の『A・RA・SHI』は、それなりにヒットしました。

 

 

他ジャニファンからのご祝儀的な購入と、ジュニア時代のファンの購入、及びジャニーズジュニア全体のファンからの応援購入があるため、

ジャニーズの新グループのデビュー曲というのは、ヒットを飛ばしやすい傾向があります。

 

『A・RA・SHI』も、そのご祝儀購入で、無事にヒットを飛ばすことができました。

しかし、その翌年から、嵐冬の時代は始まりました。

 

嵐冬の時代①:CDが売れない

シングルCDの売り上げががたっと落ち込んだのは、セカンドシングルからでした。

『A・RA・SHI』がミリオンに近いヒットを飛ばしたのに対し、セカンドシングルの『SUNRISE日本』はその半分ほども売れていません。

 

 

トータルセールスは、40.6万枚にとどまりました。

 

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当時はまだ、CDがよく売れる時代であったのにも関わらず、ジャニーズでこの数字は低いです。

 

ドラマ主題歌やCMなどのタイアップがあるときに、少し数字を盛り返したりはしますが、

徐々にCDが売れなくなる時代になったのも手伝い、そこから嵐のシングル売り上げは、順調に下がっていっていました。

 

2003年、コカコーラのCMタイアップ曲『ハダシの未来』、二宮和也主演ドラマの主題歌『言葉より大切なもの』の両A面シングルが、

福山雅治の『虹』の2週目の売り上げに負けたことは、嵐ファンとしてはとてもショックな出来事でした。

 

 

 

当時、実は嵐はCDを売るために、なりふり構わない『握手会』を開催しています。

それは、ニューシングルを握手会会場で購入したら、嵐の『誰か』と握手ができるというもの。

これを、CDが発売されて数日後に、いきなり、前日告知で行ったのです。

 

すでにCDを購入したあとのファンであっても、また会場で購入しなければならず、

しかも購入して並んだとしても、『5人のうちの誰と握手できるかは分からない』という、少々えげつない握手会でした。

 

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ちなみに私は首都圏住まいではないので、この握手会には行っていません

 

ドラマとCMの2大タイアップつきで、えげつない握手会までしても、福山雅治の2週目にさえ届かなかったというのは、当時の嵐の人気の無さを語るのに十分な出来事ではないかと思います。

 

ちなみに、『ハダシの未来』も『言葉より大切なもの』も、めちゃくちゃいい曲です。

(『言葉より大切なもの』のラップは、ちょっとお経みたいだけど…)

PVも可愛いです。

 

 

嵐冬の時代②:コンサート会場に人が入らない

CDが売れないことと比例するのは当然ですが、当時の嵐のコンサート会場には空席が目立っていました。

空席を隠すため、スタッフが席に黒幕をかぶせていたこともあったそうです。

 

また、2005年、当時まだジャニーズジュニアであったKAT-TUNに集客数が負け

ツアーのオーラスで、それまで使用していたスーパーアリーナではなく、

アリーナより狭い国立代々木競技場第一体育館で公演することを余儀なくされました。

 

また、空席を出さないように配慮した結果、ツアーの数自体を年に2回から1回に減らされるなどの措置がとられたりもしていました。

 

集客数と関係あるのかは分かりませんが、2005年の嵐のツアーは、DVD販売さえされていません。

2006年販売のアルバム『ARASHIC』の初回限定版で、ツアーダイジェストDVDがついているのみでした。

 

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今ではこの映像はお宝映像となっています…

 

 

嵐冬の時代③:テレビでおまけ扱い

嵐冬の時代と言っても、メディア露出がなかったわけではありません。

しかし、当時のメディアでは、嵐は完全に『おまけ扱い』でした。

 

一応レギュラー出演していた番組で、『USO!?ジャパン』という番組がありました。

嵐のメンバーがロケに行く回などもありましたが、大抵は、画面の端っこに移る小さいワイプに、ひな壇に座る嵐メンバーの顔が映っているのみで、

時折少しコメントを述べるくらいで、明らかに、『ああ、この人たちはおまけなんだな…』と思うような出演の仕方でした。

 

共演していた国分太一くんやタッキーは、よく喋っていた印象があります。

 

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こんな冬の時代を経て、どのようにして嵐は人気を獲得したのでしょうか。

 

以下に、その理由を考察していきます。

 

嵐の人気が出た理由①:各メンバーが話題作品に出演した時期が重なった

嵐の風向きが変わり始めたのは、2005年以降のことでした。

この前後で嵐には、メンバーそれぞれで大きな転機となる作品への出演がありました。

 

松本潤:『花より男子』のヒット

『花より男子』(第1シリーズ:2005年、第2シリーズ:2007年)は、松潤出演ドラマの代表作と言われています。

 

 

貧乏な女子高生と性格の悪い金持ち御曹司が、互いに反発しあいながらも惹かれあっていく作品で、まさに王道!といった感じのラブストーリーです。

1992年から2004年という、実に10年以上愛されてきた少女マンガが原作のドラマで、実はその昔、内田有紀さん主演で映画化されたこともありました。

 

 

現在、eBookJapanとKindleでは、5巻まで無料で読むことができます(1/7まで)。

 

ドラマは、ファーストシーズンもそこそこのヒットでしたが、セカンドシーズンではさらに拍車がかかり、最終回の視聴率は27%を記録しました。

主演は井上真央さんでしたが、この作品のヒットと道明寺というはまり役に出会えたことが、松本潤の大きな転機となりました。

 

元々、松潤はドラマの役作りに関して、かなり真摯に取り組むタイプでありましたが、はまり役に出会えていなかった印象があります。

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個人的に『ごくせん』の沢田慎はかなり好きでしたが…。でも『ごくせん』はあくまで仲間由紀恵のサブの立ち位置で、花男ほど中心的な役ではありませんでした。

 

 

このタイミング(2005年)ではまり役に出会えたことは、松潤にとっても、嵐にとっても大きな出来事であったと思います。

ドラマの人気が出ることは、主題歌の売り上げに直結します。

 

特にキャッチーな歌詞とメロディーで話題になった、花より男子リターンズ(セカンドシーズン)の主題歌『Love so sweet』は、

ドラマと歌詞の世界観がぴったりとはまっていたこともあり、大ヒットし、年間売り上げ第4位にまで食い込みました。

 

 

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話の本筋から外れますが、『Love so sweet』の初回限定版に収録されている『ファイト・ソング』が大好きです…。

 

二宮和也:映画『硫黄島からの手紙』に出演

二宮和也くんが、2006年のハリウッド映画である『硫黄島からの手紙』に出演したのも、大きな出来事でした。

 

 

詳細はネタバレになるので省きますが、この映画は嵐ファンどうこう抜きにして、本当にいい作品なので、ぜひ多くの人に見て欲しい映画です。

 

 

最初は二宮くん目当てで映画を見た私でしたが、

この映画で、情けなくも初めて硫黄島での戦いの悲惨な様子を知り、もっと知りたいと思い、硫黄島司令官栗林中将の手記も読みました。

 

 

負けを覚悟し、それでも戦地に赴かなければならない中将の思いが伝わり、

かつて同じ日本で行われた戦争の悲惨さ、命がこうも軽く扱われた時代そのものに対する憤り、

読めば読むほど色々な感情がわきあがる、胸にくる一冊です。

 

 

対となっている作品、『父親たちの星条旗』も、合わせて見ることをおすすめします。

米兵から見た硫黄島の戦いをテーマにした作品で、『硫黄島からの手紙』の映像とリンクする箇所もあります。

 

 

両方の映画を見て、アメリカ人が作った映画なのに、米兵にも日本兵にも、中立な立場の作品となっていることに驚かされます。

戦争を扱った映画で、こんなにも多くのことを考えさせられた作品はありません。

 

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rinrin
話が脱線してすみません…。

 

とにかく、この世界的にも注目された映画に二宮くんが出演できたことは大きな出来事でした。

ベルリン国際映画祭に招かれたとき、二宮くんが各国のメディアの前で、

 

『僕は俳優ではなくアイドルです。日本では、『嵐』という5人グループで、歌ったり踊ったりしています。』

 

と発言したことが、とても印象に残っています。

 

rinrin
『嵐』があるから個としての仕事がある、個としての仕事は全て嵐に還元するという、彼のアイドルとしての姿勢が現れた言葉だと思います。

 

櫻井翔:ニュースゼロのキャスターに抜擢

2006年から、櫻井翔くんが日本テレビの『NEWS ZERO』の月曜キャスターに抜擢されました。

ジャニーズで報道番組というと、あまり知られてはいませんが、SMAPの中居くんも、その昔キャスター業をしていたことがあります。

(なぜか翔くんがジャニーズ初のキャスターと誤解している人多いですよね…)

 

しかし、翔くんほど継続して長くキャスターを続けている方は初めてです。

慶応出身という経歴と、真面目な風貌を生かしたキャスティングがはまっていて、アイドルがキャスターを行うという話題性もあいまって、嵐の人気を底上げするのに一役買いました。

 

また、オリンピックのメインキャスターをさせてもらったのが大きかったかなと思います。

日本テレビのオリンピックキャスターをすることで、挿入歌は自然と嵐の歌となるため、強力なタイアップとなりました。

 

相葉雅紀:『天才!志村どうぶつ園』のレギュラーになる

相葉くんにおいては、2004年から始まった『天才!志村どうぶつ園』で、体当たりで動物に挑むロケが好評になったのが転機でした。

ゴールデンタイムで放送される番組に出演できたチャンスを、見事に物にした感があります。

 

それまで嵐はバラエティ番組に出ても、借りてきた猫のようにひな壇に座って、ちんまり大人しくしていたものでしたが、

相葉くんがこの番組で、その壁をぶち破ってくれたように感じました。

 

元々、相葉くんのキャラクターは一生懸命で憎めないものでしたが、

ゴールデンの動物番組というのは、その魅力を最大限に引き出してくれました。

 

ドラマや映画などの出演も、嵐の知名度アップには一役買っていましたが、ゴールデンのバラエティ番組というのは、知名度だけでなく好感度を上げるのにも最適でした。

『体当たりで、素直で、一生懸命』という、世間や番組が求める自分のキャラクターというのを確立した相葉くんに、プロ根性を感じました。

 

rinrin
元々の性格ももちろんあったと思うのですが、努力無くしてはあそこまではできないと思うのです。

 

大野智:ドラマ『魔王』での好演

ここまでの2004年~2007年までの短期間で、嵐は個人仕事からグループの認知度や好感度を上げ、2007年にはシングルCD売り上げ第4位に入るほどの人気を築き上げました。

この人気を後押ししたのが、2008年の大野智主演(生田斗真とダブル主演)のドラマ『魔王』でした。

 

 

ずっと舞台中心で、バラエティや歌番組以外のTVに出演していなかった大野くん。

初の主演ドラマということで、大野ファンの我々は浮き足立ったものですが、長年の舞台経験に裏打ちされた演技力は見事なもので、新規ファンの獲得に繋がりました。

 

 

また、このドラマの主題歌であった『Truth』が、これまでの嵐にはあまり無かった躍動感と大人っぽい色気の両方を併せ持つもので、ドラマとも絶妙にマッチしているものでした。

 

 

rinrin
数年という短期間で、話題の映画や脚本のいいドラマ(とその世界観に合った主題歌)、視聴者層がこれまでとかぶらない新規の番組へのキャスティングと、個人の良い仕事が重なったことが、嵐の人気を底上げしたと思われます。

 

嵐の人気が出た理由②:単独での冠番組の獲得

嵐が初めて冠番組を獲得したのは、2001年。

『真夜中の嵐』という、深夜のバラエティ番組でした。

この番組が始まるきっかけとなったのは、嵐のライブを見て感動したいかりや長介さんが、ご褒美に冠番組をプレゼントしたことでした。

 

この冠番組は、嵐が最終電車と自転車を乗り継いで、真夜中の日本列島を縦断するというものでしたが、

その後『Cの嵐!』(嵐がクレーム処理を代行するという痛々しい番組)、『Dの嵐!』(嵐が各種取材や面白い実験などをするドキュメント番組)、『Gの嵐』と、

微妙にコンセプトを変えながらも継続していきます。

 

 

 

最終的に『嵐の宿題くん』という番組になり、時間帯も超深夜(24:50 – 25:20)から普通の深夜(23:58~24:29)に格上げ(?)されたことで、地味にじわじわと、しかし確実にファンの数を増やしていきます。

かなり馬鹿な実験や罰ゲーム企画、フリートークなどが盛りだくさんで、アイドルらしからぬ『いい感じの緩さ』のある番組でした。

昔SMAPがやっていた、『夢がMORIMORI』という番組に通じるところがあります。

 

この深夜の冠番組と、それを長い間継続できたことが、嵐の人気を底上げするのに一役買っていたと考えます。

 

嵐の人気が出た理由③:歌番組でトークを披露する機会が増えた

また、歌番組でトークを披露する機会が増えたことも、新規ファンの獲得に繋がりました。

今は不定期の特別番組のみの放送となってしまいましたが、1994年から2012年まで、かなり人気のあった音楽トーク番組で、ダウンタウンの2人が司会者をする『HEY!HEY!HEY!』という番組がありました。

この番組には、どういう事情か分かりませんが、2003年頃までジャニーズが出演することはほとんど無かったのですが、2004年頃から、再度ジャニーズ勢が出演できるようになりました

 

デビュー以来出演した嵐も呼ばれ、そこで『素』の姿がかいま見えるトークを披露できたことが、新規ファンの獲得に繋がったのではないかと思います。

 

rinrin
ダウンタウンの2人にかかると、どんなトークもおもしろくなるため、出演者の高感度は上がる気がします。

 

また、とんねるずの石橋貴明さんとSMAPの中居くんがMCを務めていた音楽トーク番組『うたばん』で、

『中居くんと大野くんが先輩後輩バトルをする』という半企画のような下克上コントが恒例になったことも、人気の獲得に一役買っていたように思います。

この下克上コントは、2003年のシングル『とまどいながら』での出演から始まったように記憶しています。

 

 

rinrin
当時ジャニオタ友達と騒いだのが懐かしいです…。

 

露出が増えると、自然とファンが増えていくのが芸能人ですが、当時の嵐は、露出の多さと人気が見合っていませんでした。

それは、『素の姿を感じさせる番組』や、『トークを披露できる番組』の出演が少なかったせいかなと思います。

『うたばん』や『HEY!HEY!HEY!』などで、ある程度の台本に沿ったものとは言え、素の彼らを感じさせるトークが披露できる番組に継続的に出演できたことは、その後の人気の獲得に繋がっていきました。

 

rinrin
タイミング的に、それが低迷期と重なったのは幸運であったと思います。

 

嵐の人気が出た理由④:新規ファンを逃さないための策が功を奏した

このようにして新規ファンをじわじわと獲得していった嵐ですが、ニュースやバラエティはともかく、1クールのドラマや映画などで獲得した新規ファンは、タレントに魅力が無ければすぐに離れてしまいます。

嵐は、その新規ファンを逃さないための策が上手だったと感じます。

 

新規ファンを逃さないための策①:『仲のよいグループである』というイメージ作り

嵐は、『仲のよいグループ』であると言われています。

実際のところは、一ファンでしかない私には確かめようがありません。

 

しかし、それが真実の姿か虚構かは知りませんが、

バラエティ番組や歌番組でメインでトークするときはもちろんのこと、

ひな壇でのやり取りやコンサート中のMC、雑誌でのコメント、個人のインタビューに至るまで、

嵐が『自分たちは仲がよいグループである』とアピールし続けてきたのは事実です。

 

メンバー同士の不仲を見て喜ぶファンはいません。

『仲がよい』とアピールし、各メディアでグループメンバーについての話をすることで、

最初は個人に惹かれた新規ファンも、

 

新規ファン
彼が所属するグループはどんな感じかしら?

 

と興味を持ち、個人への興味から『嵐』というグループへと惹かれる流れができていました。

 

新規ファンを逃さないための策②:徹底したキャラ作り

嵐のキャラクターは、流動的な部分もありますが、グループにおける役割とともに、わりときっちり決まっています。

 

嵐のキャラクター
  • 大野智→ふわっと抜けているように見えて、実は才能溢れるリーダー
  • 櫻井翔→何でもできる知性派に見えて、少し抜けている面が憎めないサブリーダー
  • 相葉雅紀→天真爛漫で天然、何事にも一生懸命なムードメーカー
  • 二宮和也→頭の回転が速く、毒舌だがどこか憎めないつっこみキャラ
  • 松本潤→傲岸不遜な俺様に見えて、人一倍努力家で真面目な末っ子

 

このキャラクター分けが、本人たちが元々備え持つ気質なのか、それとも、ファンのニーズに合わせて作り上げていったものなのかは、一ファンである私には分かりません。

しかし、おそらくその両方なのではないかなと思います。

 

上述の音楽トーク番組やバラエティ番組などで、彼らはその、求められているキャラクターとグループ内での役割を忠実に守ってきました。

誰一人、空気の読めない行動をしていないのです。

ギャップを感じさせるようなエピソードも時折ありますが、そのギャップはファンの許容範囲を超えるものではなく、それぞれが、自分の役割に徹しながら番組を回してきました。

 

その安定感が、にわかファンから『嵐自体の雰囲気』に惹かれはじめたファンを、逃さず『継続的なファンにする』ことに繋がったのではないかと思います。

 

新規ファンを逃さないための策③:ファンの求める企画の追求

また、嵐は『ファンの求めるアイドル像』を、徹底して追及していったグループです。

シングルCDには、2002年発売のa Day in Our Life』以降、不定期に『シークレットトーク』という、メンバー同士が新曲や近況についての雑談をするという企画が盛り込まれました。

 

アイドルの『素の姿』を知りたいというファンのニーズ、

メンバー同士の仲のよさに惹かれた嵐ファンのニーズを反映した企画で、新規ファンを楽しませ、『また次のシングルも購入しよう』という購買欲をそそりました。

 

また、ライブにおいては、ステージ上だけでなく、『もっとファンとの距離を縮めたい』という考えから、

移動式の透明ステージである通称『ジャニーズムービングステージ』が開発されました。

今では多くのグループが使っているこの装置ですが、発案者は松本潤です。

『ファンが求めることは何なのか』、『もっとファンを喜ばせる企画は何なのか』を、常に追求してきたグループであると思います。

 

新規のファンが離れないよう、ありとあらゆるところでしてきた工夫が、現在の人気に繋がっています。

 

嵐の人気が出た理由⑤:時代が求めるアイドル像とグループのカラーが絶妙にマッチした

2000年代半ば頃から『草食男子』という言葉が流行り始め、『がつがつしていない柳のような雰囲気の男子』が求められる時代になりました。

そんな時代の流れと、あまりパンチの効いたキャラのいない、和を重んじる嵐の雰囲気は、絶妙にマッチしました。

 

彼ら自身の元々のキャラクターがそれに近かったのは幸運ですが、

時代とファンが求めるアイドル像に、彼ら自身が寄せていった部分も大いにあると思います。

 

嵐の人気は本当に出たのか

『嵐の人気が出た理由』と書いていますが、果たして彼らは本当に人気が出た(一般に浸透した)のでしょうか。

 

試しに、

 

rinrin
『A・RA・SHI』以外の嵐の代表曲を知っている?

 

という質問を夫にぶつけてみたところ、

 

夫くん
『HAPPINESS』と『涙ぽろり~の歌』は知っているよ!!

 

と返ってきました。

嵐に興味の無い一般人の知っている『A・RA・SHI』以外の曲なんて、2~3曲くらいしかないのではないでしょうか。

 

rinrin
ちなみに『涙ぽろり~の歌』というのは、二宮和也主演ドラマ『流星の絆』の主題歌『Beautiful days』のことです。

 

 

 

正直なところ、デビュー以来の嵐ファンである私は、嵐の人気を、『まだまだ一般人気ではなく、ジャニオタ人気にとどまっている』と感じています。

ただ、それでいい、というかむしろ、それが彼らの狙いであるのかなと思います。

数字(CDやDVDのセールスやコンサートチケットの購入)に直結しない一般人気よりも、確実に数字に直結するジャニオタからの支持を増やし、それを強固にすることに注力してきたグループです。

 

そういう意味で、『嵐の人気』は現在まで積み上げられてきたと言えるのではないかと思います。

 

まとめ

『嵐の人気が出た理由』についてまとめてみました。

これを書くためにブログ始めたんじゃないかと思うくらい、長い文章になってしまいました。

 

振り返って思うのは、嵐の人気は、何かの爆発的な大ヒットではなく、多段階での小さなブレイクが積み重なり、

そこから発生した新規ファンを確実に物にしてきたことから成っているということです。

 

嵐ファンの母数が増えたことは、古参のファンとしては嬉しいことですが、何だか少し寂しい気持ちも伴うものです。

 

2000年代初めの頃は、吹けば飛ぶようなアイドルで、

 

rinrin
私が応援しなければ、この人たちはある日突然メディアから消えてしまうのではないか…

 

と、本気で思っていました。

(当時同じような気持ちを抱えていた嵐ファンは多いと思います。)

 

小さなチャンスを確実に形にしてきた嵐に、敬意を表します。

 

もうすぐ20周年。

 

男性アイドルは女性アイドルに比べて寿命が長い傾向にありますが、それでも年をとるごとに若手は台頭し、人気は衰えてくるものです。

アイドルとしては遅咲きであり、その人柄を武器に人気を積み重ねていった嵐が、果たしてあと何年『トップアイドル』としていられるかは分かりません。

でも、どんな形であれ、メディアに映っている限りは、応援し続けたいと思います。

 

もう、人生の半分以上、彼らの姿を追いかけ、彼らに元気をもらっています。

 

rinrin
どうか、一日でも長く、彼らを応援できますように。